昭和45年10月14日 朝の御理解
御理解 第80節
「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先に生まれてきたのではない。みな神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者はよう心がけておるがよい。」
どこをどういう風に頂いたら良いか分からない様な感じのご理解ですね、成る程年寄りを大切にしなければならない。そう言う思想は矢張り東洋的な思想に非情に強くありますから、私共はやっぱそう言う様な雰囲気の中でお育てを頂いておる。ところが終戦この方、こう言う様な考え方がですね、いわゆる東洋的思想が非情に浅薄なものになって来た。例えば冗談にでも、カー付きババー抜きなんて言葉をよく言います。嫁入りをするなら車の一つくらい有る所でなからにゃ、嫁に入らん。
けれどもババァがおってはいやだと言う訳なんです。それを平気で言う様な浅薄時代ですね。本当に浅はかな考え方だと思うくらいですね、自分は年を取らん積りであろうかと、私は思うくらいです。自分達もやっぱり年を拾う手いかにゃならんのに、もし子やらが孫やらが、そう言う様な事を言うたり、考えをしたりするなら、本当にそれこそババ捨て山が出来なければならん感じがするですね、寂しい限りです。
信心というのは昨日、私は一言だったけれどそれが非常にまあ思うたんですけれども繁雄さんの発表しておられた中に、例えば雨が降るなら降る、照るなら照る、どの様な中にでもそこから神様を発見しようと努めておると言った様な事を言うて居られますですね。 本当に私は思いますのに、例えば年寄りなら年寄りのね姿、あの中から誰だって、皺くれババァ、皺くれジジィになるじゃないけれども、私はですね、あの皺だらけの手の中にそれこそ神を見る感じが致しますね。
本当に何かしらんけれどもあの皺くれた手を握って、こうこうさすってやりたい様な気がするんです。私はそう言う心の状態を持ち続ける事が信心だと思うですね、、そう言う私は心の状態を信心によって何時も研いて行く。何時もそういう心を頂いて行く事に焦点を置いて信心させて頂く。お互いもね、やっぱり年をとって行かねばならんのですから。私はある方に申しました。段々年をとって、子供達が立派に成人して、所が何時もその洋服を着ておられても、靴を履いておられてもです。
これは子供の上がりもんだと、子供がくれたとこう云うんです。だから私はその方に申しました「そげなこつがあるもんの」と靴でんなんでん、自分が履かんごとなったのをお父さんにやる。自分が着れんごとなった洋服をお父さんにやるしかもそれがね、作業かなんかする時なら仕方がない。そげな事じゃいかんよ。あんた自身がね新しい服を作らせてもろうて、新しい靴を履かせて頂けれるおかげを頂かにゃいけませんよ。
そしておもう父さんは又、今年も作るけん、これはあんたにやろうかと、子供に譲れる位なおかげを頂かにゃいけませんよ。と云うて申しました事がありますがね、私はやっぱこれ結局はおかげを受けなければ駄目。子供のお古どん頂いて、満足しとる様でどうするですか。折角信心させて頂くなら徳を受け、おかげを受けて、子供に自分のお下がりを下げる位な、お父さんのお下がりを頂いた、お父さんのお古を頂いたと子供が喜ぶ位な一つ年寄りになって行かなきゃいけん。まず反面から云うと。
いかにです、一番最後の所に私は頂きどころというのはこの辺じゃないかと思うのですけれどもね、「若い者でも役に立つ人は何とはなしに人が敬うてくれる様にが、不都合不行き届きが重なれば敬うてくれぬ様になる。信心する者は良う心がけておるがよい」と信心させて頂く者の心がける所はこの辺だと思うです。勿論いわば年寄りを大切にする、それは繁雄さんのそれじゃないけれども、どの様な中からでも有り難いものを見いだして行こうと、それこそ梅干しおばあさんと云うか。
しわくれ爺さんというか、そういう例えば皺の中にも、そこに神を見るという私は信心。本当に何かこう手を握ってその皺くれた手を撫で擦りしたい様な衝動を私は感ずる。だから信心をさせて頂くと、そういう例えば信心の心の状態、情操とでも申しましょうか、とてもとてもカーつきババ抜きなんて、勿体のうして言える言葉ではない。それは私共も矢張り、何時かは皺くれババァやら皺くれジジィにならねばならんのだから、そういう私は考え方と同時にです。
最後の所の若い者でも役に立てば人が敬うてくれる様になると。だからね、私はその敬われ続けて年を取って行かなければいけないと云う事です。信心する者はよう心がけておるがよい、そういう心がけなのです。あんたが若か時はどうじゃったのと、子供から云われたらもう口も開けられん、私は信心させて頂く者はです。ここの辺の所を心掛けて行く、年寄りを大事にする事もさることながら、若い者は云うなら私達、こうして日々信心の稽古をさせて頂く者はそう言う所にです。
まあだ先が長いからなんて云う考え方ではなくてです。若い時から私は皆さんに敬うわれる私共、敬われ続けて年寄りになる。年を取って本当に子供のお古で満足してからなければならない様な事をです、若い時からしっかり、いわゆるこうして信心の稽古をさせて頂くのですから。だから本当にそうだと分からせて頂いて、日々を疎かにしては行けないなと思う。そこでそんならどういう生き方にならせて頂くかと云うと、ここに不都合不行き届きが重なればと仰せられるですから。
その不都合がない生き方、不行き届きがない生き方、私はそういう生き方をさせて頂くなら、確かに若い者でも私は敬われると思う不都合不行き届きが重なって困った結果になる。本当にね、私共こうした風潮というかね、それが段々濃厚になって参りますと、何時の間にかそれに染んでいくんです。昨日新聞を見せて頂いとったら、手痛いむしょうというのがあっていますねテレビであれに、何んか出演しておった何とか言うやっとりますが、フーテン族かなんかと言っとりましたでしょう。
いわゆる髪を伸ばして若い男女が沢山あのステージに出て、その人達の考え方をみんなに見せたり聞いたりする積りだったんでしょう。所が途中からやーやー騒ぎだしてからとうとう番組をそれを途中で中断しなければならない結果に成ったと言った様な事が新聞に出ていましたですね。ただ見出しだけ見たんですけど、まあとんでもない世の中になったと思うですね。
何と云うでしょうか、そういう例えば考え方で人間が本当にそれはまあ、刹那的な喜びとか、楽しみとか云うなら、いざ知らずです、お互いが年をとって行く、一つひとつ、年をとって行く本当に、年をとって楽しい例えば生涯を終わらせて頂く為にです、そう云う様な事で人間が幸せになろうなずは絶対にないと云う事をですね、私は本当に根本的に指導したり教えていかなければ行けないなと。
そして私共年を取らせて頂いてです、何とはなしに若い時から、敬われる私共、それを敬われ続けてです、若い人達に残しておけれる、そういう心掛けが私は大事だと、最後の所は言うておられると思う。例えば信心をしておっても何かそういう風潮というか中に、何とはなしに染んでいく様な気がする。よっぽど心がけておかんとですね、特に若い人達はそこの所がしだごだになって来る。
本当に私共はこれはまあはそういう例えば考え方というですかね、今の若い人達に云うとそれを馬鹿の様に云うけれども、それこそ養老の滝じゃないけれども、支那に伝わっておる、あの二十四孝と云う様な話じゃないけれどもです、そういう生き方をしたらね、もう絶対自分達も幸せになって行けるんだ。自分たちも大事にされるおかげになって来るんだ。例えば蟻とセミの話がようそういう例が引かれますよね。
暑い時には涼しい片びらども着てから飛び回って木に止まって歌ども歌っておるセミが、少し淋しゅうなって涼しい秋風が吹く頃になったら、もうその末路というものは本当に可哀想な事だと。二、三日前でしたが、そこの石庭の所を見よったらあの大きな「がらんちょ」と言うのがおりますね、セミのあぶらせみというですか、あれがそこにひっくり返っておった。もうそれを見て本当に哀れな事だと思いましたね。
夏は我が物顔でそれこそ、涼しいかたびら着てから、ジージー言いよったのがそれこそありの餌食にでもなってしまうでしょうね、それに反して、暑い時でも、せっせと例えば働いた蟻は、冬をぬくぬくと、もうそれこそ食べ物一切冬を越せれる様な安楽な思いをすると。そういう例を言うて、今の時代には、ピンと来ないかもしれんけれども、本当にそういうセミなんかの、云うなら末路と同じ様に私共は段々段々、年を拾うていって。これはまあ本当に恥さらしの様な事ですけれども。
私の親戚にもそれがあります。所が子供達がですね、たった二人しかおらん、兄弟がその親をあっちやり、こっちやりおじいさんを。ここにもよぼよぼしながら、時々やって来るのですけれどね。もう本当にそれこそ、眼も当てられない、だから本当に若い時の自分という者を本当に振り返っていわゆる人に尊ばれる様な生き方というものを全然してないから、仕方がない様な事ですけれどもね。
私共は年寄りを大事にするという信心によっての情操をここで培うて行くと同時に、私共が年寄りにならせて頂いた時にですたい、本当に敬われ続けれる、私はお徳を受けて行かにゃいけんと思う。それはね、私共が日々の生活の中に不都合不行き届きが、あってはならない、不都合不行き届きがない生き方。思うて見ると、もう本当に不都合不行き届きの多い事に驚く位煎じ詰めてみると、それがどうしてかというと、その中に有り難いものを、見出そうとする、精進がないからですよ。
降っても照ってもどの様な事をしよっても、その中に神様を見ろうと勉めておりますと、繁雄さんが言うておられる様に。どの様にして神様を発見しておられるかという所を、もう少し聞きたかったですね、只そういう心がけだけではなくて、そういう心がけをさせて頂いておれば、こういう中にでも、ここに神様の声を聞き、ここに神様の姿を見る思いがすると言う。その体験をね、聞きたいと思いました。
そういう生き方の中にです、不都合不行き届きがない生活、それをそれと見たり、これと見たりするから、不都合不行き届きになるのだと。そこに神の姿を見、神の声を聞こうと、そこに努める所にどういう中にも、神の声が神の姿が見え聞こえて来るおかげを頂くと言う様な信心の焦点と云うものをね、狂わせないおかげを頂いて、行く所に、不都合不行き届きではない、おかげが受けられる。
本当に私共、年をとってですね、若い者から邪魔者扱いにされる様な事ではね、本当に悲しい事になります。そんな子供達じゃなかったと思うんですけれどもね、私のそのいとこになります。この頃用事で家内と妹がそこに参りまいしたら、いとこが云うそうです。もう親を前にしてから、「こげんとがおるけんで、何処にも行かれん」と云うそうです。 もう私はそれを聞いてから、私はその人がいとこの中では好きな、いとこだったけれども、それを聞いてからもう幻滅を感じましてね。
もうそげなやつじゃったばいのと思うてから、もういくら勉強か出来たとか、仕事が出来るとか言ったって、もうつきあわんぞという気がしました。私のいとこ、それもいとこ達が来とるとに、いとこの親父の前でそんな事を云う、けれどもやっぱりお世話にならなんけんやっぱだまっておる。そこでその兄弟の所を云ったり来たりして、そちらでもあっちやられたり、こっちやられたりじゃから。
やっぱりここ迄出て来ると云った様な事になって来る訳なんですけれどもね、みすぼらしい格好してから。私達は本当にそういう事になってはならない。その為に本当に敬われ続けるおかげを頂く為に、昨日からも私が申しておりますようにですね本当に、矢張り徳を受けなければ駄目だと。うちのおばあちゃんはおってもらわなければ困る、うちのおじいちゃんにおってもらわなければ出来んと子供達から、でも若い者からでも、云われる年寄りにならせて頂きたい。
それには矢張り、若い時のいわば只、一生懸命がま出したとか、お金を残したと云事では駄目。そういう意味で私の義理の叔父になるのですけれども、叔父なんか若い時から非常に苦労して子供達をやっぱりやっぱり最高の学問で、大学まで行かせておるのです。それで自分がよぼよぼになったら、もうそういう取り扱いしか受けとらんと云うです事本当に悲しい事です。そこで私共はね、そんなら昨日の朝のご理解にもあります様に。一心乃真を捧げての信心、これはもう絶対、お徳が受けられると言う生き方。
お徳を身に付けると云う所に私は必ず大事にされる。いわば年寄りになる事が出来る。云うならば私共はこの若い間からです信心させて頂いて、皆んなに敬われ続けられるおかげ、そしてさっきも申しました様に子供達にですよ孫達にですよ、これはおじいちゃんが若いときに着た着物だ。これはもう私は二重にもろうとるけん。これはあんたにやろうと子供にやれれる位なね年寄りになりたい。子供のお古どん頂いてから満足しとるというごたる、年寄りになっちゃ相済まん。これだけの信心を頂いとってから。
その為には、どうしても矢張りお徳を受けなければいけません。それには一心乃真を矢張り捧げての信心、そういう信心を目指させて頂くと云う事は、取りも直さず全ての事柄の中からです、そこに神様を見、又は神の声を聞かせて頂く事に、日々精進させて頂くという様な生き方、そこに不都合不行き届きと言う事がなくなって来る。そこに敬われる、又は敬われ続けて、年を取りたいもんだと、折角信心をさせて頂くのですから、そういうおかげをお互い頂きたいですね。
どうぞ。